ふくしま散歩

旅と散策の記録、ちょっとしたレビューとか

会津藩校日新館、赤べこの発祥地に行ってきた

2018年9月14日(金)

 

この日は会津、柳津方面と米沢、福島経由で散策してきた。

 

12:50 

会津藩校 日新館に到着

上級藩士の子供が10歳から入学した当時の教育機関だ。

当時は鶴ヶ城の西隣にあったが戊辰戦争で校舎が消失。天文台跡のみが残る。

ここ、日新館は1987年に藩校の図面をもとに会津若松市の郊外、鶴ヶ城から北に8kmほど離れた場所に完全復元された。

博物館、道場、宿泊研修施設、ロケ地などに使われている。

座禅や茶道、赤べこの絵付け体験なども可能。

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會津藩校日新館

内部は日光江戸村なみの規模で復元されている。

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かなり敷地が広い

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習字中だった

博物館では当時の藩校での教育の様子や会津の歴史が学べる。

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もはや復元ではなく移築したレベル

かなり再現度が高い。半日ぐらいはゆっくりできる規模だ。

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水練場 (日本最古のプール)

衣服や鎧をつけての泳法を学んだ水練場も再現されていた。

あまりに緑色…

高台にあり見晴らしが良い。

鶴ヶ城も見えなくはない。

どこにあるかわかりますか?

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日新館から会津市街地を望む

左奥の方にあるのだが… かなり小さい。

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肉眼だとまず発見できないサイズ

ja.wikipedia.org

 

先は長いので昼食に向かった。

 

13:50

七日町にある馬力本願に到着。ここでは珍しい馬骨ラーメンが食べられる。

道を挟んで斜め右側にある駐車場に止める。

馬骨ラーメンは豚骨よりさっぱりしているのに臭みがない。

辛味噌を途中から混ぜるとさらに美味しい。

おすすめ。

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最高に美味しい

お腹がいっぱいになったところで、近くの寺に向かう。

 

14:25

阿弥陀寺に到着。

七日町駅すぐ近くにある。戊辰戦争の戦死者1300人が埋葬された。

ここには戊辰戦争を生き延びた鶴ヶ城の小天守、御三階が移築、保存されている。

さらに新撰組3番隊組長、剣術の達人 斎藤一の墓もある。

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御三階

外見は3階建てだが、内部は4層。

鶴ヶ城内にあったときは秘密会議なども行われていたらしい。

内部非公開。

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斉藤一の墓 (1844~1915)

新撰組最強の剣士とされる。

戊辰戦争を生き抜き、警視庁の警察官になる。

西南戦争で西郷軍と戦い生き抜く。

ja.wikipedia.org

 

 

14:40

長命寺にも立ち寄った。阿弥陀寺の500m南側にある。

ここは会津戦争の市街戦の激戦地。佐川官兵衛率いる会津藩士と新政府軍の長州、大垣藩が衝突。本堂を含め全て焼失し築地塀が残った。

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150年前の弾痕が残る塀

長命寺にも145名の会津藩士が埋葬された。

 

15:10

鶴ヶ城近くにある御薬園に到着。

1432年に蘆名盛久が霊泉の湧く、この地に別荘を建てた。

1670年、会津藩2代目藩主保科正経が領民を疫病から救うため園内に薬草園を作ったのが由来。

現在の庭園は1696年に本格的な山水庭園として改造されたもの。

戊辰戦争時は新政府軍の診療所となり戦火を免れたため建物が現存している。

1991年までは会津松平家保有していた。

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楽寿亭

売店では薬草茶が販売されている。

日本庭園を見ながらお茶を楽しめる。

心が洗われるのでたいへんオススメ。

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カモやアメンボが泳ぐ池

ja.wikipedia.org

 

せっかく会津まで来たので、柳津まで足を伸ばした。

 

16:15

福満虚空蔵尊 圓蔵寺に到着。

ここは赤べこ発祥の地。

807年、圓蔵寺を建立する際に上流の村から大量の木材を寄進された。

水量が豊富な只見川で材木を運搬するのは困難だった。

人々が材木を運ぶのに困っていると、どここからか牛の群れが現れて材木の運搬を手伝ってくれた。重労働で多くの牛が倒れ、最後まで働いたのが赤色の牛だった。

これが赤べこ伝説だ。

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只見川を見下ろす崖に立つ

 

境内には撫で牛像もある。

たくさん撫でておいた。

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景色がいい。

赤べこに詳しくなったので次の目的地に向かった。

ja.wikipedia.org

 

17:30

せっかく柳津まで来たし、新潟まで行ってみようぜ。

 

軽いノリで西会津を通過。

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新潟と福島の県境付近

手前が福島県阿賀川。奥は新潟県阿賀野川。名前が変わる川…

マイナーだけどこの辺りは本当に景色が良く空気も美味しい。

 

途中の山道で大量の猿が橋を渡っていた。

新潟の山奥で会ったのは人より猿のほうが多かった。

 

理由もなしに豊実ダムまでやってきた。

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豊実ダム (1929年竣工)

重力式コンクリートダム東北電力が管理している。

予習もなしに、いきなり来た上に圏外だったので現地ではただのダムとしか思わなかった。

調べてみたら、かなり古いダムで驚いた。阿賀野川水系東北電力管内11のダムのうち2番目に古いらしい。最古は鹿瀬ダム(未訪)。

 

新潟に行くという目標を達成したので、せっかくだから山形にも行きたくなってしまった。

国道459号を通り喜多方に出て、121号を北上し米沢に向かった。

 

19:15

上杉家霊廟に到着。

すっかり暗くなってしまった。

当然こんな時間に墓所が開いてるはずもなく、次回以降にお預け。

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上杉さんたち眠っている…

いつも勘違いをしていた。

喜多方から国道121号を北上し、米沢に行く。何度も通った道だ。

当然、北上しているのだから米沢には南から入ると思っていた。

後日、地図を見たらビックリ。いつも米沢には西から入っていたのだ。

南から入るには檜原湖を抜け北上する道があった。いずれ通ってみたい道の一つだ。

 

 

19:50

米沢城/上杉神社にやってきた。

なんとここは開いていた。堀の周りをランナーが走っている。

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ライトアップ?されている (ただの街頭かも)

駐車場から、堀の外をまわり東側の正面から登城。

途中まではこの時間でも入れる。右手に上杉謙信直江兼続の像。左手に上杉鷹山がいる。

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静かな城跡

そのまま真っ直ぐ進み上杉神社の本殿へ向かう。

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やっぱり閉まっている

また来よう…

 

米沢城は1238年に築城された。

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そろそろ疲労が溜まってきたのでモンスターを飲んでチャージ。

国道13号を通り福島市にむかった。

ちなみに、この時間帯は無料の東北中央道を使うより国道13号を使った早く福島まで行けることが多い。自動車道は登坂車線もなくトラックに通せんぼされる。

 

21:30

福島稲荷神社に到着した。

ここには世良修蔵の顕彰碑がある。(墓は宮城県白石市にある)

 

もう真っ暗…

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お稲荷さんに軽く挨拶

稲荷神社の境内の北側、隅に世良修蔵の碑があった。

新政府が建立した顕彰碑である。勝てば官軍なのだ。

東北が戊辰戦争に巻き込まれるきっかけとも言われる人物。

現在でも相当に嫌われているという。しかし、顕彰碑はそこそこ管理されている様子。

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お供えがあった。

 

この顕彰碑を囲む4つの石灯籠、手前左側は長州藩品川弥二郎 右側は黒田清隆が寄進したもの。世良修蔵も暗殺されなかったら明治政府の重鎮になっていたのだろうか。

奥の石灯籠2つは橘正風、正郎が寄進した、この2人は奇兵隊出身で、世良修蔵が暗殺された翌日に、信夫橋の北側路上で暗殺された長州藩士 野村十郎の兄弟だ。

 

ja.wikipedia.org

 

21:50

稲荷神社の南側、福島県庁が福島城の跡地だ。

当時の遺構はほとんど残っていないが、この日は本丸跡に立ち寄った。

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芝生が広がる

庭園跡と土塁、外堀の一部が残っているのみ。

ja.wikipedia.org

 

(のちに昼間に再訪した)

 

22:10

最後の目的地、長州藩士 野村十郎 暗殺の地にやってきた。

ここは特に碑も立っていないので、須川の関門を通過後に暗殺されたという推定して近辺を散歩。

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信夫橋北側、この付近と思われる

 

 

0:20

万SAI堂に寄り道してからヘトヘトで帰宅。

 

 

暗くなっても、疲れていても、限界まで身体を動かして現地に行き全力で歴史を感じる。それが趣味だと思う。