日帰りで新潟に行ってきた
2018年10月13日(土)
新潟は米つくってるイメージしかなかった。
そこで行ってみることにした。
6:40
郡山を出発。いつもに比べて相当早い出発時間だ。
郡山南ICから東北自動車道に入り郡山JCTで磐越自動車道に。
一気に新潟へ向かう。
8:10
阿賀野川SAで一休み。ファミマで朝食。
安田ICで高速を降りて北上。
9:00
新発田城に到着した。(しばたと読む)
城の前の広い原っぱで人と犬が遊んでいた。のどか。
ここ新発田城は南側と西側の石垣と水堀が残っている。
一部の櫓は内部を見学できる。
隣に自衛隊の駐屯地があるので三階櫓の内部は非公開だ。
表門から中にはいる。
二の丸櫓の内部に入ってみた。
新発田城に残る一番古い構造物だ。
一通り見学したので新潟市に向かった。
10:00
ここは31階建、143mの本州日本海側で最も高いビルだ。
このビルの最上階はBefcoばかうけ展望室として公開されている。
お土産ショップで限定ばかうけ、キーホルダーなど売っていた。
ボリンの小さなぬいぐるみを購入。
友人たちは見に行っていた。
展望室から見えた海が綺麗だったので、海に向かう。
11:30
近くの小針浜に来た。
初めて日本海の浜辺にきた。
ここで先日手に入れたばかりのドローンを飛ばしてみる。
さっそくいい感じの写真が撮れた。
すごい
ドローンやるじゃん…
一眼レフじゃ撮れない風景が撮れてしまった。
高性能カメラ付きラジコンだ。撮ったり飛ばしたりしてしばらく楽しんだ。
2020年4月に新型のMavic Air2が発売されたみたい。
13:00
弥彦神社にやってきた。
新潟県で一番有名な神社とのこと。
万葉集にも載っている古い神社。
弥彦神社には鹿がいる。神の使いとして飼われている。
この鹿たち、奈良の春日大社、東京の神田明神、静岡の三島大社の鹿の子孫たちだ。
鹿界のエリートである。
放し飼いではないが、比較的おおきな鹿苑でのびのびと暮らしている鹿たち。
面白い形の橋があった。
玉ノ橋といい、御手洗川にかかる神専用の橋とのこと。
先は長いので次に向かった。
13:50
グーグルマップで偶然みつけた廃駅にやってきた。
1999年4月に廃止になった新潟交通電車線の旧月潟駅だ。
かつての線路跡に車をとめる。
ホーム跡に当時使用されていた車両が展示されていた。
新潟ならではのラッセル車も!
駅舎もそのまま保存されている。廃線好きにオススメ。
15:00
長岡市に到着。
山本五十六記念館にやってきた。
ここで現地に住んでいた元サークル部員の友人と合流。
記念館では山本五十六長官ゆかりの品、ブーゲンビル島から回収された撃墜された一式陸攻の左翼部分などが展示されていた。
記念館の近くにある山本五十六長官の生家に向かう。
15:25
山本記念公園に到着。
山本五十六が生まれ育った高野家があった場所に整備され、園内には復元された生家と、山本五十六の胸像がある。
1945年8月1日に米軍による長岡空襲で焼失したため復元された。
内部は勝手に見学できる。
この奥の部屋にデカい56像が…!
めちゃデカでびっくりした。
かなり急な階段を登って2階に上がる。
山本五十六の勉強部屋。
ここで勉強して海軍兵学校に入校、やがて海軍大学校に進学した。
生家を出て、ブロンズ像を見にきた。
この像は、長官が戦死した1943年に12月8日に土浦海軍航空隊が作ったコンクリート製の全身像をもとにつくられたもの。
敗戦後に、米軍に破壊されないようコンクリート像を上下に分けて霞ヶ浦に沈めた。
1948年に偶然、上半身が発見され劣化が激しかったので型を取ってブロンズで作り直したもの。
下半身は2002年に旧基地内で台座の横の土中から発見された。
15:40
すぐ近くの長岡駅前にきた。
長岡城本丸跡があるらしいのだが…
遺構らしきものは発見できず。
長岡花火の打ち上げ模型が展示されていた。
めちゃくちゃデカい。
日本海に沈む夕日が見たいので柏崎に向かった。
17:00
鴎が鼻展望台(恋人岬)に到着。
日没は17:12。なんとか間に合った。
またドローンを飛ばす。
このロープ、登れるのか…?
新潟を堪能した。
暗くなってきた。せっかくなので長岡のおいしいラーメンを頂くために長岡に戻る。
19:00
長岡生姜醤油ラーメン たいち で夕食。
お腹もいっぱいになったので、帰路につく。
ここからは全て下道。奥只見を越えて福島に戻る。
21:00
大白川駅で休憩。
21:40
田子倉湖にやってきた。
真っ暗、霧が濃くて何も見えない。
ここで魔が差した。
福島の市町村を制覇する計画を思い出してしまった。
わざわざ遠回りして昭和村に向かう。
22:30
冷湖の霊泉に到着。
ダート道を2.5kmほど進んだところにある湧き水。
このあたりはクマがよく出るらしく、大変ビビりながら湧き水を飲んだ。
うまい。
これで残るは、古殿町、小野町の2つ…
福島制覇も近い。
南会津、下郷を抜けて走り続ける。
疲れ過ぎて途中の記憶がほぼない。
1:20
やっと帰宅した。
1日で620km、なかなか走った。
A 安田IC
B 新発田城
C ばかうけ展望室
D 小針浜
E 弥彦神社
F 旧月潟駅
B 鴎が鼻
C ラーメンたいち
D 大白川駅
E 田子倉湖
F 冷湖の霊泉
UFOふれあい館に行ってきた👽
2018年9月28日(金)
福島にはUFOが集まる山がある。
千貫森(せんがんもり)という462mの山だ。
あまり高くないがとても目立つ。
ここの麓に、市営の公共施設(!)であるUFOふれあい館と物産館がある。
ここで宇宙人に会えてUFOとふれあえるという噂を聞き、現地に遊びに行った。
8:30
郡山を出発
10:00
千貫森公園の入口までやってきた。
すでにワクワクしている。なんだこの看板
ここから車で駐車場まで少し登る。
もうすでに期待以上の雰囲気。
UFO物産館横の駐車場に到着。
福島市飯野UFOふれあい館に向かう。
道を挟んだ向かい側にUFOふれあい館は鎮座していた。
これ公共施設だぜ。
入ってすぐに濃厚な空間が広がっていた。
怪しい!怪しすぎる!
受付を済ませ、左に進む。
怪しげな入口。
のれんをくぐると宇宙だった。
最高の空間だ。
この時からもう自分も宇宙人だった。
謎のブザーが鳴りグレイタイプ宇宙人が現れる。
ミステリーゾーンを抜けると、展示ゾーン。
ここまでUFOに迫った博物館(?)もなかなかないだろう。
中でもいちばんヤバい展示がコレだ。
UFOは確実にいる。
ここに置いといていいのか…?
一通り展示を見てから立体映像シアターを楽しむ。
3Dメガネをかけて飯野町とUFOの関係をしっかり学習した。
このUFOふれあい館、2階はお風呂と和室がある。
宇宙人と触れ合ったあとは、ここでゆっくりできる。
宇宙の間と銀河の間の2室あり、宇宙の間は予約なしで入れる。
お風呂は見学者ならそのまま入浴可能だ。
今回は風呂には入らなかった。
あまりに広い和室にビビる。
ここは宇宙だ。
左にるのがUFO物産館。ここのラーメンとカレーが異様に美味しいのだが、今回は食べなかった。
ふれあい館を出て千貫森のUFO道入口で宇宙人と遭遇した。
このまま登っていくと千貫森の山頂に行ける。
今回は時間の都合から、登山はパスした。
先は長い。
UFOふれあい館は福島県内でも最高にお気に入りの場所だ。
2020年までに4回訪れている。
ぜひ行ってみてほしい。
物産館でTシャツ2枚購入。次の目的地に向かった。
11:20
福島市民家園に到着。
江戸時代中期から明治中期の古民家や建物が移築保存されている。
主に県北部の民家を中心に、様々な建物が展示されている。
江戸東京たてもの園の福島版。
充実の展示、当時の民家の様子がよくわかる。
古道具も一緒に展示されていた。冬はめちゃくちゃ寒そう。
かなり見応えがある展示量だった。
時間があれば半日くらいゆっくりできる。
おすすめ。
12:40
飯坂温泉までやってきた。
新十綱橋付近の駐車場に車をとめる。
旧堀切邸という江戸時代の豪商の邸宅が改装されて無料公開されている。
当時の半分ほどの面積らしいが今でもかなり広い。
門をくぐり左手に主屋がある。
見学は横の入口から。
裏には蔵がありミニ資料館になっていた。
源泉掛け流しの足湯がある。なんとタオルも貸してくれる。
足湯の良さを知った。
まだこの時は温泉は苦手だったのだ。
くつろいだあと、七ヶ宿ダムに向かう。
13:35
昼食を摂っていなかったので近くにあったミニストップでおにぎりをたべる。
駐車場からなにやら古そうな建物が見えたので寄り道。
どうみても明治建築。なんだろう。
門柱には旧伊達郡役所と書かれていた。
1883年竣工の擬洋風建築。
この時は閉まっていたが内部は資料館になっているらしい。
いく先々で松尾芭蕉に遭遇する。今回は予想外だった。
お腹もいっぱいになったので七ヶ宿ダムに向かった。
途中の山道からの眺めがとても良かった。
14:00
山道を進む。
宮城県に入った直後、道沿いに大量の鳥居が突然現れた。
思わず寄り道した。
10分ほど鳥居を潜り続けると本殿についた。
非日常感ある山奥の稲荷神社だった。
14:30
ついでに近くにある飛不動尊に立ち寄った。
伊達政宗が1591年に創建した堂が火災に遭った際、御本尊が自ら飛び出して災厄を避けたという言い伝えがある。
クマが出そうな雰囲気。もちろん誰もいない。
スズメバチに遭遇してすごい勢いで車に戻った。
14:45
ここは江戸時代に奥羽13名の大名が参勤交代の際に使用した山中七ヶ宿通の検断屋敷が移築復元されている。
右手に小原の材木岩が見える。
付近には風穴を利用した天然の冷蔵庫がある。
材木岩氷室と呼ばれ絹糸などの保存に使用されていた。
現在でも中に入れる。めちゃくちゃ涼しかった。
15:00
やっと七ヶ宿ダムに到着。
これ以上は接近できなかった。
国道113号を通り白石市に向かう。
15:30
世良修蔵の墓に到着。場所が分かり辛い。駐車場もない…
小学校の裏手の藪に車をとめた。
福島稲荷神社の石碑と比べてほとんど手入れされていない様子。
15:50
白石城にやってきた。
仙台藩の伊達側近、片倉氏の城。
仙台藩は一国一城令の例外として仙台城と白石城の2つの城を持った。
戊辰戦争の際、白石列藩会議が開かれ、奥羽越列藩同盟の結成に繋がった。
木造で復元された天守閣。
大きい。
内部を見学できる。1階、2階は鎧兜や史料が展示されていた。
日が暮れてしまうので急ぎ気味で見学した。
17:00
霊山城は霊山山頂付近にあったらしい。
車で急な山道を進み砂利駐車場にとめる。
かなり高い場所に境内があるので、車で登らないとキツい。
やはり誰もいない。おごそかな雰囲気。
境内をぐるっとまわり、下山。
そろそろ日が暮れる。
初めて訪れた伊達市の夕焼けはとても綺麗だった。
17:45
道の駅 伊達の郷 りょうぜんに立ち寄る。
この道の駅はお気に入り。
19:00
自家製麺くをんで夕食。
いつもは行列ができているが、この日は並ばず入店。
中サイズで800gある。大は1kgだ。
暴力的な塩分濃度のスープ。うどんより太い麺。最高のうまさ。
一瞬で食べ終わった。
20:10
信夫山の鳥ヶ崎展望デッキに向かった。
福島市で1番の夜景が楽しめる場所だ。
途中まで車で登り、あとは軽めの登山道。
初見で夜に訪れると街灯がないのでキツい。
遠くの山の中腹に高湯温泉の明かりも見える。
おすすめ。
信夫山は展望台が複数あり、昼でも夜でも楽しめる。
金山跡を利用した地下壕もある。
福島周辺を巡り尽くしたので郡山に戻る。
22:30
北畠家の城と夜景つながりで宇津峰山に寄り道。
一応夜景は見えたものの、市街地から遠く、信夫山よりしょぼい。
23:00
ヘトヘトで帰宅した。
302km走った。
A UFOふれあい館
B 福島市民家園
C 飯坂温泉 / 旧堀切邸
D 旧伊達郡役所
E 満蔵稲荷神社
F 材木岩 / 七ヶ宿ダム
G 白石城
H 霊山神社
I 道の駅 りょうぜん
J 自家製麺くをん
A 信夫山
B 宇津峰山
葛尾村に行ってきた
2018年9月26日(水)
福島県には59の市町村がある。
すでに54市町村に訪問済みだ。
残るのは、以下の5市町村。
小野町
昭和村
今回、その中でも近場にある葛尾村に向かった。
村のホームページに観光案内がなく、目的地を探すのに苦労した。
8:30
郡山を出発
県道250号をひたすら進む。ぐねぐねの山道が続く。
10:10
木戸ダムに到着。
ダムの上を県道が通っている。
せっかくなのでダムカードをもらった。
ダムの下流側の木戸川渓谷遊歩道に寄り道した。
誰もいない。遊歩道も人がしばらく通っていなさそうだ。
涼しくなかなか良い場所だった。
思わず撮った。
11:20
北上して富岡町に入り、滝川ダムを通過。
川内村にもどってきた。
そのまま北上し、今回のメイン。葛尾村に向かった。
12:15
Cafe嵐が丘でランチ。
大量のティーカップ、ソーサーのコレクションが並んでいて、その中から選んでコーヒーを頂ける。おいしかったので葛尾村に行く際にはぜひ。
一休みしたあと、葛尾村の史跡を巡った。
13:45
大尽屋敷跡に到着。
江戸から明治にかけ200年間、栄華を極めた商人、松本一族の屋敷の跡とのこと。
生糸や製鉄で富豪になったそうな。
ほとんどわからない…
14:00
屋敷跡の近くにある磨崖仏を見にきた。
屋敷の主が寄進したものらしい。
巨大な岩に仏が彫ってある。
写真だとあまりわからないが、かなりでかい岩。
14:30
杉沢の大杉に到着。
樹齢600~1000年とも言われるデカすぎる杉が生えてる。
国内最大級の杉らしい。
とにかく巨大だった。周りにはコスモスが満開。人もほとんどいないのんびりした場所だった。
15:10
帰りについでに三春城に寄り道した。
当時の建物は残っていないが、石垣や堀切、土塁などが残る。
本丸の跡は公園になっていた。
電波塔が立っている。
また、藩主秋田氏の墓があった。
唯一、現存しているのが藩校 明徳堂の表門だ。
三春小学校の校門として移築されている。
16:10
郡山に戻ってきた。
マイナーな場所でも行ってみると案外楽しめることに気づいた。
A 木戸ダム
B 滝川ダム
C -
D Cafe嵐が丘
E 大尽屋敷跡 / 磨崖仏
F 杉沢の大杉
G 三春城
磐梯山に登ってきた
2018年9月23日(日)
ずいぶん前から気になっていた。
その姿は何度も見ているのに登ったことがない。
そこで磐梯山に登ることにした。
9:00
「山をナメるな」を合言葉に郡山を出発。
デイリーヤマザキで朝食。
国道49号を西に進む。
中山峠を越え猪苗代に入った。
あまりに高い。登れんのか?
11:00
車を止めて八方台登山口からようやく登り始める。
すでに下山した登山者をみてビビった。
まだまだ余裕ぶっこいていた。
11:20
中ノ湯温泉の廃墟に到着
まだまだ余裕だ。
11:40
小休止
眺めが良いことに気づく。
ここまでほとんど休憩せずに登っていた。
だんだん登るスピードが遅くなり…
11:55
ここにきて2人がダウン。
ちょっと休んでるから登ってきていいよ。と完全に諦めモードに…
もうすぐ頂上だから(嘘)はやく行こうぜ。と言ってもビクともしない…
山をナメて体力を持って行かれたのだ。
諦めて1人で登ろうかと迷っていたとき、下山してきたオバチャンに声をかけられる。
「山を諦めるのは人生を諦めるのと同じ」
パワーワード炸裂。
立ち込めていた暗雲が一瞬で吹き飛び、ダウンしていた2人が一瞬で立ち上がった。
これは如来だ、菩薩だ… 人の姿をした仏だ… などとオバチャンに感謝しながら再び登り始めた。
12:50
弘法清水に到着、大量の登山者が休憩している。
コンバースのスニーカーで登ってるキッズもいてビビる。
1888年の噴火で山体崩壊し消滅した小磐梯の跡が残っている。
本当に山が丸ごと消し飛んでいた。
一休みしつつ普段見られない高さから檜原湖、秋元湖を同時に眺める。
弘法清水なる湧き水を汲んで空のペットボトルに水を詰めた。
めちゃくちゃ美味しかった。弘法さんありがとう!
13:10
弘法清水を出発、山頂を目指す。
ほどほど急な登りが続く。
標高が高くなり、植生が変わり紅葉も見られた。
さらに登ると植物が消えた。
森林限界を初めて目にした。
13:40
磐梯山の山頂に到着した。
普段は大きな猪苗代湖が小さく見える。
頑張って登ってよかった…
14:00
下山し始めた。
ほとんど休憩せずにどんどん下山。
15:40
温泉跡まで戻ってきた。
行きは気付かなかったが、付近は地面から温泉が湧いてる。
暖かく硫黄臭い。
16:00
無事に駐車場まで戻ってきた。
ろくに運動していなくても気合いで登れてしまった。
一旦帰宅して、シャワーを浴びる。
19:30
とんこつ家で特濃家系ラーメンを注文。
不足しがちな塩分を一度に補給した。
この頃から、山や自然の魅力に気付きはじめる。
思っていたより壮大で、楽しく、達成感があった。
5時間程度の登山でヘトヘトになるのだから、テント泊で縦走登山する人たちは特殊部隊か何かか…?
宇津峰山、達沢不動滝、横向ロッジに行ってきた
2018年9月17日(月)
この日は昼過ぎから暇だった。
いつもの暇そうな2人を誘って山に向かった。
12:50
郡山を出発
13:20
宇津峰山にきた。郡山の南東にある677mの山だ。
登れる所まで車で登る。
行き止まりで駐車。特に準備もせず軽装できたので、途中の御井戸の清水まで登った。
ろくに運動していないので山道はしんどい。
1300年代中期、南北朝時代には宇津峰山は奥州南朝の拠点として、宇津峰城として利用された。この城に立て籠もった皇族や武将などの高貴な人々の飲料水として使われたとのこと。
まあまおいしい。
山頂には土塁跡が残るらしい。この日は山頂まで登らなかった。
隠れ夜景スポットでもある。
ハチに怯えながらすぐ車に戻った。
14:00
1399年築城、1627年頃に廃城。
1589年10月26日、城主二階堂氏と伊達政宗を筆頭が須賀川城を巡って攻防戦を行った。
廃城になって久しいため、ほぼ遺構が残っていない。
本丸跡に建つ二階堂神社だ。東日本大震災の影響か、修復されて綺麗になっていた。
すぐ近くの神炊館神社(おたきや)に向かった
14:05
神社の境内を散歩。松尾芭蕉も訪れた。
境内には須賀川城の外堀がわずかに残る。
実際、ほとんど残ってない。
10分ほど滞在し、勢至堂渓谷の滝に向かった。
14:35
馬尾の滝 (まお)
場所がわかりづらい。道の脇に突如現れる。
釈迦堂川の上流、江花川を挟んだ対岸にあった。
白馬の尾に似ているから、この名がついたとのこと。
多少濡れるが、石の上を渡れば滝のそばまで行ける。
すこし涼んでから、さらにデカい滝に向かった。
15:50
猪苗代湖の北側にある達沢不動滝の駐車場までやってきた。
途中から未舗装になり砂利の駐車場に止めた。
不動川に沿って少し歩く。
10分弱歩くと、滝に到着。
この滝、デカい。涼しい!
チャレンジャーな2人は滝の裏側に行けるのを発見。
滝の大きさもわかるだろうか。
少し濡れただけで裏側にまわれていた。
次行くなら挑戦してみたい。
滝を見て一休み。夏の暑さも和らぐ滝効果を満喫。
40分ほど滞在した。
16:50
有名な廃墟、横向温泉ロッジにやってきた。
1984年に廃業。度々ボヤ騒ぎがある。
横向は地名だ。ロッヂも横向きだが、そうじゃない。
有名になりすぎて、内部はイタズラ描きだらけ。ほとんど何も残っていない。
正直に言うと、この時はビビり散らしていた。
1人で廃隧道や地下壕も行ったことがなかった頃だ。
肝試しに使われるというのがよくわかった。
夜に廃墟に行くのは風化した床や廃材を見落としやすく、別の意味で危険だと思うのだが…
真正面の階段、裏から見るともうすぐ崩壊しそうな劣化具合だ。
この時点ではまだ降りられた。
30分ほど滞在し、母成峠を通って郡山に戻った。
夏の暑さを吹き飛ばすヒヤヒヤした涼しげな日帰り旅だった。
A 宇津峰
B 須賀川城跡/神炊館神社
C 馬尾の滝
D 達沢不動滝
E 旧横向温泉ロッジ
F 母成峠
会津藩校日新館、赤べこの発祥地に行ってきた
2018年9月14日(金)
この日は会津、柳津方面と米沢、福島経由で散策してきた。
12:50
会津藩校 日新館に到着
当時は鶴ヶ城の西隣にあったが戊辰戦争で校舎が消失。天文台跡のみが残る。
ここ、日新館は1987年に藩校の図面をもとに会津若松市の郊外、鶴ヶ城から北に8kmほど離れた場所に完全復元された。
博物館、道場、宿泊研修施設、ロケ地などに使われている。
座禅や茶道、赤べこの絵付け体験なども可能。
内部は日光江戸村なみの規模で復元されている。
博物館では当時の藩校での教育の様子や会津の歴史が学べる。
かなり再現度が高い。半日ぐらいはゆっくりできる規模だ。
衣服や鎧をつけての泳法を学んだ水練場も再現されていた。
あまりに緑色…
高台にあり見晴らしが良い。
鶴ヶ城も見えなくはない。
どこにあるかわかりますか?
左奥の方にあるのだが… かなり小さい。
先は長いので昼食に向かった。
13:50
七日町にある馬力本願に到着。ここでは珍しい馬骨ラーメンが食べられる。
道を挟んで斜め右側にある駐車場に止める。
馬骨ラーメンは豚骨よりさっぱりしているのに臭みがない。
辛味噌を途中から混ぜるとさらに美味しい。
おすすめ。
お腹がいっぱいになったところで、近くの寺に向かう。
14:25
阿弥陀寺に到着。
七日町駅すぐ近くにある。戊辰戦争の戦死者1300人が埋葬された。
ここには戊辰戦争を生き延びた鶴ヶ城の小天守、御三階が移築、保存されている。
外見は3階建てだが、内部は4層。
鶴ヶ城内にあったときは秘密会議なども行われていたらしい。
内部非公開。
新撰組最強の剣士とされる。
戊辰戦争を生き抜き、警視庁の警察官になる。
西南戦争で西郷軍と戦い生き抜く。
14:40
ここは会津戦争の市街戦の激戦地。佐川官兵衛率いる会津藩士と新政府軍の長州、大垣藩が衝突。本堂を含め全て焼失し築地塀が残った。
15:10
鶴ヶ城近くにある御薬園に到着。
1432年に蘆名盛久が霊泉の湧く、この地に別荘を建てた。
1670年、会津藩2代目藩主保科正経が領民を疫病から救うため園内に薬草園を作ったのが由来。
現在の庭園は1696年に本格的な山水庭園として改造されたもの。
戊辰戦争時は新政府軍の診療所となり戦火を免れたため建物が現存している。
売店では薬草茶が販売されている。
日本庭園を見ながらお茶を楽しめる。
心が洗われるのでたいへんオススメ。
せっかく会津まで来たので、柳津まで足を伸ばした。
16:15
福満虚空蔵尊 圓蔵寺に到着。
ここは赤べこ発祥の地。
807年、圓蔵寺を建立する際に上流の村から大量の木材を寄進された。
水量が豊富な只見川で材木を運搬するのは困難だった。
人々が材木を運ぶのに困っていると、どここからか牛の群れが現れて材木の運搬を手伝ってくれた。重労働で多くの牛が倒れ、最後まで働いたのが赤色の牛だった。
これが赤べこ伝説だ。
境内には撫で牛像もある。
たくさん撫でておいた。
赤べこに詳しくなったので次の目的地に向かった。
17:30
せっかく柳津まで来たし、新潟まで行ってみようぜ。
軽いノリで西会津を通過。
手前が福島県の阿賀川。奥は新潟県の阿賀野川。名前が変わる川…
マイナーだけどこの辺りは本当に景色が良く空気も美味しい。
途中の山道で大量の猿が橋を渡っていた。
新潟の山奥で会ったのは人より猿のほうが多かった。
理由もなしに豊実ダムまでやってきた。
重力式コンクリートダム。東北電力が管理している。
予習もなしに、いきなり来た上に圏外だったので現地ではただのダムとしか思わなかった。
調べてみたら、かなり古いダムで驚いた。阿賀野川水系の東北電力管内11のダムのうち2番目に古いらしい。最古は鹿瀬ダム(未訪)。
新潟に行くという目標を達成したので、せっかくだから山形にも行きたくなってしまった。
国道459号を通り喜多方に出て、121号を北上し米沢に向かった。
19:15
上杉家霊廟に到着。
すっかり暗くなってしまった。
当然こんな時間に墓所が開いてるはずもなく、次回以降にお預け。
いつも勘違いをしていた。
喜多方から国道121号を北上し、米沢に行く。何度も通った道だ。
当然、北上しているのだから米沢には南から入ると思っていた。
後日、地図を見たらビックリ。いつも米沢には西から入っていたのだ。
南から入るには檜原湖を抜け北上する道があった。いずれ通ってみたい道の一つだ。
19:50
米沢城/上杉神社にやってきた。
なんとここは開いていた。堀の周りをランナーが走っている。
駐車場から、堀の外をまわり東側の正面から登城。
途中まではこの時間でも入れる。右手に上杉謙信、直江兼続の像。左手に上杉鷹山がいる。
そのまま真っ直ぐ進み上杉神社の本殿へ向かう。
また来よう…
米沢城は1238年に築城された。
そろそろ疲労が溜まってきたのでモンスターを飲んでチャージ。
国道13号を通り福島市にむかった。
ちなみに、この時間帯は無料の東北中央道を使うより国道13号を使った早く福島まで行けることが多い。自動車道は登坂車線もなくトラックに通せんぼされる。
21:30
福島稲荷神社に到着した。
もう真っ暗…
稲荷神社の境内の北側、隅に世良修蔵の碑があった。
新政府が建立した顕彰碑である。勝てば官軍なのだ。
東北が戊辰戦争に巻き込まれるきっかけとも言われる人物。
現在でも相当に嫌われているという。しかし、顕彰碑はそこそこ管理されている様子。
この顕彰碑を囲む4つの石灯籠、手前左側は長州藩士 品川弥二郎 右側は黒田清隆が寄進したもの。世良修蔵も暗殺されなかったら明治政府の重鎮になっていたのだろうか。
奥の石灯籠2つは橘正風、正郎が寄進した、この2人は奇兵隊出身で、世良修蔵が暗殺された翌日に、信夫橋の北側路上で暗殺された長州藩士 野村十郎の兄弟だ。
21:50
稲荷神社の南側、福島県庁が福島城の跡地だ。
当時の遺構はほとんど残っていないが、この日は本丸跡に立ち寄った。
庭園跡と土塁、外堀の一部が残っているのみ。
(のちに昼間に再訪した)
22:10
最後の目的地、長州藩士 野村十郎 暗殺の地にやってきた。
ここは特に碑も立っていないので、須川の関門を通過後に暗殺されたという推定して近辺を散歩。
0:20
万SAI堂に寄り道してからヘトヘトで帰宅。
暗くなっても、疲れていても、限界まで身体を動かして現地に行き全力で歴史を感じる。それが趣味だと思う。
即身仏に会ってきた
2018年9月13日(木)
浅川町に福島県内唯一の即身仏がいると聞き、早速拝みに行った。
10:30
暇そうな友人を巻き添えに郡山を出発した。
11:30
浅川町の金久山 貫秀寺に到着。
誰もいない…
境内をウロウロしていると、奥に箒を持った人を発見。
見学したい旨を伝えた。
しばらく待つと鍵のかかった薬師堂の扉が開かれた。
1683年12月8日、92歳の宥貞さんは流行病に苦しむ村民たちの治癒を祈願し入定し即身仏となった。
1591年島根に生まれ、23歳、香川で出家。27歳から諸国行脚し出羽湯殿山、高野山で修行した。
1631年、江戸深川永代寺の住職となった。行脚を続け3寺の住職を務めた。
1661年、浅川町にあった東永山観音寺の住職となる。
1889年の大火で寺が消失し廃寺になったため、曹洞宗貫秀寺が引き取った。
おそらく写真撮影可能なのは宗派が異なり預かっている状態だからではないか。
かなり状態が良い。
薬師堂内部はとても綺麗に管理されており、案内パネルも充実。
30分ほど滞在し棚倉に向かった。
(2019年 上野の国立科学博物館で開催されたミイラ展で宥貞さんに1年ぶりにお会いした。この時は撮影不可となっていた。)
12:05
棚倉町の長久寺に到着。
棚倉城の二の丸南門が移築され保存されている。
あまりにも馴染みすぎていた。
12:15
棚倉城跡にやってきた。
こじんまりとした城跡だ。
棚倉城は1625年に丹羽長重が築城した。白河小峰城も彼が作った。
1868年6月24日、戊辰戦争で板垣退助の率いる新政府軍800名が攻め込み、1日で陥落した。会津に新政府軍が攻め込む3ヶ月ほど前だ。
城をぐるっと一周眺め、駐車場に戻った。
12:40
八槻都々古別神社に到着。
福島県には一ノ宮神社が3社あり、そのうちの1社。
八槻は中社。近くにある馬場八槻都々古別神社は上社。
とても静かな境内。空気が美味しい。
12:55
棚倉出身者からおすすめされた寺だ。
最初から雰囲気抜群だ。一瞬で浄化されそうな空気。
本堂の左奥から、御本尊が安置された霊場が望める。
緑に囲まれた急な石段の上に洞窟がある。
本堂から少し階段を降り、橋を渡る。
手すりを使いながら130段の石段をゆっくり登った。
崩落防止のため強固なアンカーが何本も打たれていた。
開祖弘法大師の像がある。
一休みして、駐車場に戻った。
茨城にデカい滝があるのを知り、そのまま見に行った。
14:20
袋田の滝に到着。
駐車場から少し歩き吊り橋を渡って展望台に行く。
袋田の滝トンネルを通り第1観瀑台に向かう
滝が大きすぎて、ここでも全体が見えない。
新設された第2観瀑台に向かった。
こんどは下部が見えない。
かなり大きな滝だ。サイズも見た目もオバケだ。
冬季は凍結して氷河のようになるらしい。
せっかくなので茨城県内最高峰の山に車で登りに行った。
急カーブが続く山道をひたすら登った。
台風の影響か枝がたくさん落ちていた。
八溝山公園線使用。
途中のヘアピンカーブで怪しいキノコを発見。
思わず撮ってしまった。
あとで調べたら無毒で焼いて食べるとおいしいとのこと。
16:00
八溝山 日輪寺に到着。
境内で一休み。
山頂に向かった。
16:20
八溝山山頂に到着。ここまで車で来れる。
霧が濃く何も見えない。
展望台からも濃霧で何も見えない。
駐車した場所のそばで不思議な木を見つけた。
これはなんだろうか…
八溝山線を抜け一旦、棚倉に戻り白河に向かう。
この福島県道377号線、狭く待避所もほとんどない。しかも未舗装区間が2.1kmある。
17:30
やっと白河の関に到着した。
木が鬱蒼と生い茂り薄暗い。
そのまま登っていくと白河神社の社殿がある。
土塁や空堀の跡も残っており、大和朝廷の蝦夷侵略拠点になっていた様子が伺える。
白河の関は2つある。
こちらの関は大和朝廷の砦跡で、江戸時代の関所ではなかった。
もう一つの関は、西側4kmほどの場所、国道294号上にある。
白河二所関といい、江戸時代に奥州街道の関所として設けられたものだ。
こちらが江戸時代の関東と東北の境目だった。現在でも栃木と福島の県境だ。
18:00
ここには遊女志げの墓がある。
白河の旅籠坂田屋に抱えられていた遊女だ。
1868年5月末、白河は危険と察し、世良は福島城に向かった。
志げは、この脱出を手助けしたと疑われ会津藩士に殺害された。享年22歳。
志げが殺されたと知った坂田屋の下男は会津藩士を追って女石にて仇を討ったとのこと。
世良修蔵は奥羽越列藩同盟 奥羽鎮撫総督府下参謀として派遣された。
東北を煽り倒し、東北地方を戊辰戦争に巻き込んだ張本人とされている。
結局6月10日未明、福島市の金澤屋で就寝中に仙台藩、福島藩士ら25人に襲われ捕縛。阿武隈川で斬首された。
18:30
麺屋 大須賀 白河店に到着。
初めてつけ麺を食べる。
ともらーめんの方が好みだ。
20:20
ヘトヘトで帰宅した。
A 金久山 貫秀寺
B 長久寺
C 棚倉城
D 八槻都々古別神社
E 山本不動尊
F 袋田の滝
G 八溝山山頂
A –
B 白河の関/白河神社
C 遊女志げの墓
D 麺屋 大須賀 白河店